忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

在日が「警戒」を「差別」にすり替え

◇トップに戻る ◇日本の中心



my日本SNS gabachoさんの日記

 最近の教科書採択問題や、人権擁護法案、地方参政権、夫婦別姓の問題等に在日外国人の影が見え隠れし、民主党との不適切な関係も指摘されています。
 これには、在日韓国人・朝鮮人とそれを支援する日本人の存在がありますが、一方で在日韓国・朝鮮人に対する一般の日本人の無知・無関心が、彼ら在日の横暴を助けている側面もあります。 

 そこで、少し古いのですが、二年ほど前に「ねずきちの ひとりごと」に紹介された『在日朝鮮人は「警戒」を「差別」にすり替える』という記事を、多くの日本人に普及して誤った洗脳を解き、彼ら在日の野望を打ち砕く必要があると存じます。  
 この趣旨に賛同する方は、どうかこの記事を少しでも多くの方に拡散してください。 
 在日朝鮮人は「警戒」を「差別」にすり替える  http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-526.html 
 盧武鉉前大統領が生前残した言葉に、次のようなものがあります。 

 「韓国戦争から逃げた連中が、祖国統一を口にするのはおかしな話だ。日本には弾は飛んでこないだろう。僑胞(在日韓国人)にそんなことを言う資格などない。」 

 「私は僑胞の連中を信用などしていない。徴兵の義務を負わないくせに韓国人を名乗り、日本の選挙権を求める。馬鹿げていないか。つまりは、いいとこどりではないか。」 

 「私たちが苦しい思いをしていた頃、僑胞の連中は私たちよりいい暮らしを日本でしていたのだ。」 
 「僑胞は僑胞だ。韓国人ではない。」 ・・・ 

 在日韓国人の皆さんは、自分たちは戦前、日本政府によって無理やり強制連行されてきた被害者である、と主張されます。
 北朝鮮に無理やり拉致された日本人について、日本に住む日本人の多くは、拉致被害者の一日もはやい帰還を、みんな祈っています。それが普通の国民感情です。 
 自国の民が拉致されたのなら、その国の大統領は拉致被害者の帰還を喜ぶはずです。
 にも関わらず、韓国民から圧倒的な支持を集めた盧武鉉元大統領は、在日韓国人に対し、上述のような発言をしています。  なぜでしょう? 
 一般的に、戦前の法律である国家総動員法によって、多くの朝鮮の方々が連れてこられたとされています。 
 事実、国家総動員法を根拠にした国民徴用令などによって、多くの朝鮮人の方が日本工業の基盤となる各種業務をこなしてくれていました。 
 しかし、この法律によって来日していただいた朝鮮人の方々は、実は戦争が終わると故郷へと帰っているという事実が、意外にも現代では無視されています。 

 帝国政府は、日本の為に働いてもらった朝鮮人の方々を放置する事なく、その責任を以て帰郷の事業を開始しました。 
 その過程で発生した最も有名な事件が「浮島丸事件」と呼ばれるものです。 
 終戦直後の昭和20年8月24日、京都府舞鶴港で日本海軍の輸送艦「浮島丸」が米軍の設置した機雷に接触し撃沈され、乗員乗客ら500名以上が死亡した事件がありました。 
 この輸送艦の乗客は朝鮮人の方々です。 
 というのも、日本政府は8月21日の次官級会議で、日本の為に協力してくれた朝鮮人達の帰郷方針を決定し、22日には専門委員会を発足させていました。 
 浮島丸事件は、その過程で発生した痛ましい事件です。  まだ戦闘終結直後であり、米軍の敷設した各種機雷が依然として海上を漂っていたため、それに触雷しての結果でした。 
 そして、この事件から考察できる史実は「日本政府は朝鮮人の方々を帰郷させていた」という事実です 
 日本政府は、朝鮮半島から来ていただいていた朝鮮人の方々を、じつは、戦争が終わると全員帰郷できるよう、旅費やその他全ての経費を政府が負担した上で、責任をもって送迎している。 
 戦争が終わった後、朝鮮人の方々は「半島に帰るか、それとも日本にとどまるか」という選択肢を選ぶことになった。 

 故郷に帰りたい者は帰郷し、既に日本で事業に成功して財産を蓄え或いは家族をつくった人達は、自分の意志で日本にとどまることを決意した。 
 明治40年の日韓併合条約締結以後、日本の内務省によって朝鮮人の日本移住が許可されました。 
 その直後、朝鮮半島と日本本土の経済落差から出稼ぎ労働の憧れの対象となり、昭和5年には298,091人の朝鮮人が移住してきています。 
 昭和10年には62万人もの朝鮮人が日本へ移住。。。 
 国民徴用令がだされたのは昭和14年です。当時の移住者は「強制」とは全く関係の無い人達だという事がわかります。 

 現在、朝鮮半島に住む韓国人の方は、日本国内に住む在日韓国人へ対して、多かれ少なかれ一定の感情を持っているといいます。 

 それは、同じ韓国民でありながら、韓国軍への徴兵がない等、顕著な行政上の差別があるからです。
 
 そして、「なぜ同胞なのに差別を?」という疑問の答えは、  「強制的に連れてこられてそのまま帰れないでいる」ということに対してではなく、 
 「日本住む在日韓国人は、自分の意志で朝鮮半島を捨てて日本に住むこと決意した」 

 という歴史的背景によるものだという点にあります。 
 ちなみに、国民徴用令は大東亜戦争開戦前の1939年に施行されましたが、朝鮮半島での施行は、戦争末期の1944年です。 
 日本のにいる在日朝鮮人への徴兵も1944年からです。 
 当時の状況は、日本人ならば主婦や学生までが総動員態勢で工業生産に従事していました。 
 当時は同じ日本国民と認識された朝鮮人だけが、何もせずに遊んでいなけれはならないという理由はありません。 むしろ、その方が差別だし、悪質だ。 
 当時の日本人は朝鮮人を差別する事なく日本人と同等に扱うため、日本人と全く同じ「強制」という行政を執ったのだと思います。 
 ですからむしろ「朝鮮人だけ強制をするな」という主張のほうが、「朝鮮人は無能だから仕事もできないので強制する必要性もない」という、極めて悪質な人種差別・朝鮮人差別的発言であろうかと思われます。 
 戦前の日本では、朝鮮は日本の一地方という認識がありました。同じ日本という国の一部だった。 

 ではなぜ、半島に住む韓国の人々が、在日韓国人の人を蔑む発言をするのか。 

 実は、現在日本に住む在日韓国人の多くが日本に来日してきた時期は、朝鮮戦争(1950年~)の時期とほぼ一致しています。 

 朝鮮半島では、新しくできた韓国を守ろうと多くの人達が必死に戦いました。 

 その中で、「戦うのは嫌だ」と日本へ避難してきた朝鮮の人達が存在します。 

 この行動が、現在も根強く残る朝鮮半島内の在日者に対する差別の根拠となっている。 
 自分たちが必死に戦って守った国が平和になったら、のこのこやってきて、自分たちも韓国人であると主張する。 

 半島に住む人々が、「なんなんだ、おまえら!」という気持ちになっても、なんら不思議はありません。 

「他のみんなが頑張っているのに、自分だけは楽をしたい」 

 この精神性を持つ人達が朝鮮戦争のさなか、祖国を裏切って戦後に来日し、現在も在日朝鮮人としての身分を得ている。 
 在日朝鮮人が本国に帰国すると、「差別」をうけるといいますが、ある意味、それは当然といえようかと思います。 
 そして、このような「自分さえよければ良い」という考えの持ち主が、現代では国民年金を払っていないにもかかわらず、年金の支給を要求したりする一部の在日朝鮮人達の思考形態へと派生しているのではないでしょうか。在日朝鮮人の中には税金すら払わない人達がいます。 
 自分に都合の悪い事が起きれば、 
 「私たちは強制的に連れてこられたんだ」 

 の一点張りをし、全ての責任追及を回避しようとする。 こうした姿勢も、「朝鮮人だから」ということではなく、そういう精神性の持ち主達の集まりだから、ということに起因するように思えます。 

 ちなみに、戦後の在日韓国人の方の戸籍は、大半が役所に存在しないか、あるいは男が女だったり、兄弟が夫婦だったりと間違った登録がされています。 
 理由は、朝鮮戦争当時に密入国してきた為、行方不明人として扱われた結果です。 

 さて、差別とは、不当な条件によって不当な扱いをする行為を指す言葉です。 
 従って、人種・門地・性別といった、本人の意思とは全く関係のない情報によって、その者を不当に扱うことが差別であり、それは許されない事です。 
 しかし・・・ 

 犯罪・テロといった類を根拠にするよる嫌悪感は、果たして差別と呼称できるものなのでしょうか。 
 朝鮮人の犯罪の第一歩は初代内閣総理大臣の殺害から始まりました。これは誰もがよくご存じだと思うので割愛致します。  そして、昭和7年には桜田門事件が発生します。朝鮮人テロリストの李奉昌が、爆弾を昭和天皇へめがけて投げつけ、暗殺未遂を起こしています。 
 昭和天皇の暗殺は幸いなことに失敗しましたが、警備をしていた人達に重傷を負わせました。この事件によって、当時の日本国民はとても大きな不安を覚えました。 
 しかし、昭和天皇はこれを李奉昌個人の犯罪とし、朝鮮の人民にその責任を負わせることをしませんでした。 
 セルビア人青年がオーストリア皇太子を殺害したことによって発生した第一次世界大戦の規模を考えれば、とても寛大な判断です。 
 また、同じ年の4月29日の天皇誕生日に、また朝鮮人テロリストが爆弾殺傷事件を起こしました。 
 天皇誕生日の記念祝典に参加していた日本人を狙って、尹奉吉が爆弾を使用し、多くの日本人を殺傷しました。 
 このテロで、白川義則上海派遣軍司令官と河端貞次居留民団長が殺害され、重光葵、植田謙吉、野村吉三郎らが重傷を負い、多くの日本人が殺傷されました。 

 このような朝鮮人の犯罪が度重なる事によって、日本人の心の中には多くの不安が蓄積していきました。 
 確かに、全ての在日朝鮮人がこのような悪質な犯罪をしているわけではありません。 
 しかし、韓国も北朝鮮も、在日半島人の誰もがこれらの犯罪へ対して謝罪の意を表していない事は事実です。 

 それどころか、全ての朝鮮人が教科書等で、上記に挙げた犯罪者を「英雄」として賞賛してさえいます。 

 戦争が終わると、朝鮮人達は「準戦勝国民」という地位を連合国から与えられました。 
 その地位を利用して彼らは様々な犯罪をおかした。  以下に、その一部を少し紹介してみましょう。 
 一番最初は1946年の「首相官邸暴動事件」です。 約2000人の在日朝鮮人が「戦勝国民」の権利を謳って首相官邸に乱入し、警官隊や米軍憲兵隊と戦闘を行いました。 
 1948年には同じくして「戦勝国民」の地位に酔った朝鮮人3万人が一斉蜂起し、様々な破壊行動を行い、米軍憲兵隊(MP:ミリタリーポリス)の指揮下で鎮圧され、約1000人の逮捕者をだしました。
 また大阪と神戸では府県庁を襲撃して知事や役人に暴力を行った上で監禁しました。アメリカ軍は緊急事態命令としこれを取り締まり、累計2000名近い朝鮮人を逮捕した。 
 1951年、滋賀県では「日野事件」が勃発し、朝鮮戦争の戦禍から逃亡してきた朝鮮人50名が武装集団となり、警察を襲撃した。 
 1952年の「吹田事件」では、朝鮮戦争の開戦をお祝いしていた「在日朝鮮統一戦線」の学生達およそ1100名が「革命思想」をもと興奮し、警察や街の工場施設を襲撃した上で拳銃を奪って逃走しました。この事件では113名が逮捕された。 
 1954年に起きた第二の神戸事件では900名の在日朝鮮人が区役所や税務署を襲撃して破壊し、警官隊と戦闘を繰り広げ、188名の逮捕者をだした。 
 このようにして数々の犯罪を繰り返し、米国の占領中に発生した朝鮮人犯罪を米軍が統計したところ、1947年から50年までの間の、 

殺人・強盗が4656件 レイプが224件 放火が57件 傷害が17,552件 窃盗が44,494件 も記録されています。 
 集団での蜂起以外にも、朝鮮人個人の犯罪を朝鮮人全体が賛美した例も少なくありません。 
 1958年(昭和33年)8月20日、東京都江戸川区の進学高校、小松川高校に通っていた太田芳江さんが何者かによって犯され殺された事件がありました。 
 犯人は犯行後に遺体から遺品を盗り、送りつけて遺族の悲しみを煽ることで楽しみ、また警察へ対しては自分の犯行を楽しそうに語る電話をかけました。 
 この様子は全国的にラジオで報道され、犯人の残虐性に多くの日本人が畏怖しました。
 後に逮捕された犯人である在日朝鮮人の李珍宇は、逮捕後に別の女性もレイプして殺した事を自供しました。 
 通行中であった田中せつ子さん(当時23才)を突き飛ばして怪我をさせ、動けなくした所でレイプし、その後殺害しました。 
 犯人の李珍宇は死刑判決を受けましたが、犯人の母親は「息子の行いへ対して死刑は重すぎる」と主張し、控訴・上告をしていますが棄却されています。 
 また、「差別されているのだから強姦や殺人を行っても仕方ない」と主張する、在日朝鮮人ら数万人の減刑嘆願署名が集まりました。これには共産主義者文化人の大岡昇平も協力していました。 
 このように、多くの在日朝鮮人が「我々は差別されていたので、日本人女性をレイプして殺しても仕方がない」という主張をしていました。 
 これは、現在の朝鮮総連関係者が言う「植民地統治されていたのだから、日本人数名を拉致したくらいなんだ」という論調と酷似しています。 
 注意すべき点は『一人の異常者が朝鮮人の中に存在した』という事ではなく、朝鮮人が総体として一人の異常者を擁護し、同調していたというところです。 
 この事実をどう受け止めるかは各々によって違いますが、認識を改めざるえない注意すべき史実だと思います。 
 続いて、1968年には同じく在日朝鮮人の金嬉老がライフル銃で日本人男性二人を射殺した上で旅館に立て篭もり、女性一人と九才以下の児童三人を含む九人を人質にとる事件をおこしています。 
 この時もはやり同様に、金達寿らによって「差別されていたのだから、女性と子供を人質として虐待しても仕方がない。差別されていたのだから男性二人を殺害しても仕方ない」といった主張がされ、韓国では金嬉老を「日本人を殺した英雄」として賞賛するメディアが多数制作されました。 
 このような惨劇の延長線上にあるのが、極めつけの拉致事件です。  やはり、過去と同様多くの在日朝鮮人は「植民地統治の問題があるのに、拉致ばかり言うのはおかしい」といった主張を繰り広げ、まだ拉致被害者が帰国できていないのにもかかわらず、国際空間では「拉致問題は解決済み」という発言をしています。 
 朝鮮人へ対して深い理解をする事は大切ですが、理解と盲目になる事は違います。 
 彼らがどのような歴史をもっており、過去から現在に至るまでどのような姿勢をとり続けるのかという事を我々は認識しなければなりません。 

 戦争が終わったとき、日本国内に約60万人いた在日台湾人へ対しては何も負の感情が無いのに、朝鮮人へ対してだけは何故存在するのか。 

 我々はそのことを深く省みる必要性があるのではないでしょうか。 
 すくなくとも、「警戒心」と「差別心」は違う。 

 警戒心を差別だとすり替えて、様々な反社会的行動を正当化するためのレトリックに利用することは、けっして許されることではない。 
 繰り返しますが、大勢いる朝鮮人の中の一部だけに、上記に紹介したような一部の異常者がいるということではないです。  そうではなくて、多くの朝鮮人が一部の犯罪者を賞賛し、褒め、称え、なおかつその罪を罪と思わず、教科書にまで載せて「誇り」にしているという事実を無視する事はできません。 【以上、ブログ「朝鮮歴史館」より一部文章を修正して引用】   http://ameblo.jp/campanera/page-2.html#main




◇トップに戻る ◇日本の中心
PR

Copyright © 日本人の本気 : All rights reserved

「日本人の本気」に掲載されている文章・画像・その他すべての無断転載・無断掲載を禁止します。

TemplateDesign by KARMA7
忍者ブログ [PR]